愛知県や関係機関のご指導のもと、当会は、全国各地の県人会とともに友好を深めております。

中部広島県人会のホームページへようこそ

中部広島県人会
 会長 増田 卓司(北広島町出身)


 中部広島県人会は、広島県出身者や広島が好きな方で構成される団体です。
 昭和9年(1934年)、名古屋市池下の「向陽館」で「広島県人有志の会」として結成され、今年で90周年になりました。
 昭和9年は、瀬戸内海が雲仙・霧島とともに初めて国立公園に指定された年です。満州事変、国際連盟からの脱退といった激動の時代に、ふるさとから遠く離れた名古屋に居を構えられた先人達の望郷の念はいかばかりであったでしょう。
 その後の戦前の歩みは詳らかではありませんが、昭和35年(1960年)に永井嘉吉会長のもとで名古屋広島県人会として再結成され、高度経済成長期の昭和39年(1964年)に広島県名古屋事務所が設置されたのを契機に中部広島県人会と改称し、ふるさと広島と中部圏を繋ぐ架け橋となるべく活動してまいりました。
 当時の記録や写真によれば、総会、ソフトボールやバレーボール大会等に職場単位で多くの会員が参加していた様子が伺えます。
 愛知県は県人会活動が活発な地域です。当会は、昭和53年(1978年)に立ち上げられた「全国県人会東海地区連絡協議会」に当初より参加し、東海地区にある全国の県人会と情報交換や交流も深めて来ました。
 私が入会したのは平成2年(1990年)です。副会長に就いた同13年(2001年)には会員は800名を超え、定期総会の出席者は来賓を含め約150名でした。秋のバス旅行、年2回の広島カープ応援、中国五県県人会合同ゴルフコンペ、ボーリング大会等の諸行事も活発に行われていました。
 しかし、その後の20年で少子高齢化・デジタル社会への転換・グローバル化など我が国の経済・社会構造は大きく変わりました。広島の情報は瞬時に入手でき、短い時間で広島と往き来もできます。そのような中で、ふるさと広島への帰属意識も変化して来ているように感じます。その一方で、広島出身でなくても仕事や観光で広島を訪れた方、広島カープのファンの方等様々なご縁を通じて「広島が好きな方」に出会うことも多くなったように思います。
 その様な方々に、広島と中部圏を繋ぐ観光大使、平和大使になっていただきたいとの想いから、平成30年(2018年)、それまで「広島出身及びその縁故者」としていた県人会の会員資格を「本会の事業に賛助する個人又は団体」に拡げる会則改正を行いました。
 令和2年(2020年)から同5年(2023年)まで続いたコロナ禍は、「会員相互の親睦を深める」という県人会にとって大きな打撃でした。会員も大幅に減少しました。同4年(2022年)にはコロナ禍の波間を縫って何とか総会開催に漕ぎ着けました。そのとき強く感じたのは、アクリル板で仕切られていても、直接顔を見ながら、ともに広島弁で広島のことを語り合える喜びでした。
 創立100周年に向けたこれからの10年。これまで以上に経済・社会構造や県人会活動に対する意識は大きく変容するでしょう。
 しかし、先人達の結成時のふるさとに寄せる熱き想いやこれまでの90年間で紡がれてきた伝統を引き継ぎながらも、知恵を絞って「広島が好き」な方々が楽しく集え、また他県の県人会とも連携の輪が築けるよう新しい時代に相応しい県人会活動を模索して参りたいと思います。
 このホームページをご覧いただいている皆様方には、是非、中部広島県人会に入会し、ともに活動していただけることを切に願っております。

※ 創立90周年記念総会にあたり「中部広島県人会 はじめて物語」を編みました。
 ご高覧下さい。